CASATIのはなし その3

 CASATIを購入した1990年始めころには完組ホイールという概念がまだなくて、ハブとリムとスポークを買って自分で組める人は自分で、そうでない人は自転車店で組んでもらうのが普通だった。

 当時の流行としてはまずはマビックGP4だろうということで、どこで買ったかもう忘れたけどリムを買って、カンパのハブと一緒に店に持ち込んで、ホシの14/15ダブルバデットスポークで組んでくださいと両国の自転車屋さん(たぶんイチカワ)にお願いしに行ったのを覚えている。そうだ、たしかこのイチカワのショーケースに入っていたサンマルコのコンコールを買ったなぁ。

 ちょうどその頃からトゥークリップからビンディングペダルに変わりかけていたころで、革ベルトで締めるよりもなんかかっこ良いだろうとLOOKの赤白のビンディングペダルを買った。

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 ちょうどこのタイプだったような気がする。まさにスキーのビンディングを自転車に応用した感じのごついペダルで(今見るとなんかガンダムっぽいね)、はめはずしがめちゃめちゃ堅かった。これに合わせるシューズはあんまり選択肢がなかったように記憶しているが、ま、オートバイ業界ですし、ここはSIDIでしょう、と、黒/黄のを買った。その時の影響か今でもSIDIがカッコいいと思ってるし、エルゴ2を愛用してます。

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 こんな感じで、普通はトゥークリップペダル用に樹脂の溝があり、そこにペダルをがっちりはめ込むタイプなのだが、ビンディングのクリートも着けられるように靴底に3つ穴が開けてあった。上で書いたようにビンディングがめちゃめちゃ堅いのと、靴底のナットインサートが弱くて少し使ったらクリートを固定しているボルトが相手のナットと供回りしてしまいせっかく買ったSIDIのシューズもすぐに使えなくなってしまった。。。その後はCレコのトゥークッリップペダルを買ってそれを使っていた。

 ハンドルはチネリのジロデイタリア、ステムもチネリ、カセットはレジナのアメリカ、チェーンもレジナの穴アキタイプ。こうしてなんとか自転車が出来上がり、当時住んでいた墨田区の寮から葛飾区の会社まで通勤に使うようになった。御徒町には当時から殿村さんのお店があって、時々行ってみるのだが、そこに飾られているウェアの派手さとレーパンの感じがどうにも恥ずかしくて(値段も高かったしね)、結局サイクルウェアってのは買わずにいたような記憶がある。

 自転車を買ったからといってどこに走りに行く訳でもなく、どちらかというとメカフェチなのでオートバイを修理しつつ自転車を磨く日々が続き、これではいかんとついにとある夏休みに東京から京都まで自転車で行ってみるという無謀な計画を企てるけびんだった。。。つづく。
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CASATIのはなし その2

 1980年代が終わり90年に入ろうとするころに町田でCASATIのフレームを購入、次はコンポーネント探しが始まった。イタリア製のフレームだから必然的にカンパニョーロが欲しくなったものの、カンパのコンポーネントはグレードがあり、会社の先輩によればスーパーレコードを頂点にして何種類もあるとのこと。カンパのコンポは少し前から鉄からアルミへの転換期だったようで、中でもコルサレコード(Cレコ)は滑らかな表面処理を使ったそれはそれはかっこいいデザインですっかり魅了されてしまった。

 当時、FET極東という輸入会社がありオートバイアクセサリーの他、多くの輸入自転車部品も扱っており、勤めていた会社とも取引があったのでカタログをもらって毎日眺める日々が続いた。そのカタログは今でも持っていて値段を見るとかなり驚く。

 カンパニョーロコルサレコード8点セット 290,000円

 ちなみに現在のカンパスーパーレコード8点セット(電動じゃない)は320,000円程度が定価のようです。20年前から価格がほとんど変っていない。為替の激変と物価上昇を考えると当時が高いのか今が高いのかよく分からないが、ちなみにこのFET極東のカタログにはデローザやコルナゴ、チネリも載っていて、チネリのスーパーコルサはフレーム単体200,000円だった。

 さて、カンパは欲しいもののセットではとても買えないので、CレコクランクとCレコシートポストをFET極東から購入、なるしま千駄ヶ谷店でコバルトブレーキセットを見て即買い、細かく部品がそろっていくCASATIのはなし。

CASATIのはなし その1

 小学生の時に買ったロードマンはその後いつしか引退に追い込まれ、YAMAHA RZ250RRなんていうエンジン付きの乗り物が登場し、鈴鹿8耐観戦、峠、ツーリング、交通事故、と一通りのお約束イベントをこなし、「オートバイに乗るより分解する方が合っているんではないか」という自己分析の結果、現在の会社に入社し、最初に配属されたのが東京都葛飾区というまぁいい感じの下町で、京都生まれで京都育ちの関西人にはそれはそれはカルチャーショックが大きかったのだが、まぁそれを語るブログではないので割愛してと。その葛飾の営業所で出会ったのが先輩のメカニックの人が持っていた真っ白なコルナゴだった。

 会社に入る数年前くらいからNHKでツールドフランスの番組が特集され、ベルナール・イノー、グレッグ・レモンなんていいう名前を覚えたのもこの頃で、自転車レースに興味を持っていたものの、それでもオートバイの方に興味を持っていたので、営業所で見たジルコデザインの白いコルナゴはそのかっこよさにかなり憧れた。

 そのうちに自分でも自転車が欲しくなり、完成車を買っては面白くないので部品をあちらこちらから買って組み立てることにした。まず一番大切なフレームを何にするかで非常に迷ったもののコルナゴはとても買える値段ではないし、ロッシン、バッタリン、カレラ、アタラ、なんかのフレームを雑誌で見てはため息の日々だった。コルナゴに憧れたので買うなら欧州フレームと思ったのになかなか自分のお財布事情に見合ったフレームが見つからず、今のようにインターネットもオークションもない時代なので、雑誌を見て自転車屋さんを巡る日々が続いた。

 ある日、町田の自転車屋さん(名前はもう忘れた)の天井にぶら下がっていたフレームを眺めていると、515サイズで78,000円、白いフレームにイタリア語の青色ロゴが入ったフレームを見つけた。サイズと価格を考えるとまぁなかなか出会えそうになく、思い切って買ってしまった。

 けびん、CASATIのフレームを購入。1980年代ももう終わろうとしていた頃のおはなし。

サイクル野郎のはなし

 水色のロードマンに乗っているころに友達から漫画を借りた。「サイクル野郎」という自転車で日本一周する話で友達は全巻持っていたので全部借りて読んだ。もう内容は断片的にしか覚えていないが、主人公は自転車屋さんの息子で最初は軽い気持ちで電子フラッシャー装備の自転車で日本一周に出かけたもののすぐに挫折、考え方を変えて装備のしっかりした自転車で準備も整えて、各地でバイトしながら旅をする、そんな話だったように思う。

 そんな漫画を読みながらやっぱり旅にはパニアケースをつけないとなぁとか、ロードマンじゃだめだからより上級のユーラシアを買って旅装備にしないとな、などと想いは膨らむもののお金もないので、どちらかというと自転車の部品をどんどん外してしまう方向に走って行くことになる。前後のフェンダーが外され、これで軽量化だ!などとと満足していたが雨の日や濡れた路面でどれくらいフェンダーが仕事をしているか身をもって体験したり、どこかで拾ってきたママチャリを改造しては遊んでいた。

 なかなか旅に出れない頃のおはなしである。

 サイクル野郎のWikiはこちら。

父親の影響のはなし

 ロードタイプの自転車を買ったからといって競技に入れ込んだり、ツーリングにしょっちゅう出かけるということはほとんどなかったが、父親はかなり変わった人なので、競輪選手が使っていた中古の競技自転車と3本ローラーを家に持ってきて練習を始めたり、(3本ローラーは乗ると結構面白かった。置き場所があれば今でも欲しいくらい。競輪自転車は当然ブレーキもついていないので街乗りに使えず、母親から危ないとの苦情でどこかへ引き取られていった)自転車での琵琶湖周回も父親が先にやったので、負けられないと、自分でもやってみたって感じだった。

 その父親はついにVitusのアルミフレームにデュラエースを装備した自転車を買って通勤などに使っていた。今でも実家に吊るされているが、ほとんど乗っていないのでまともに機能するかどうか分からないが、今度帰ったときにでも見てみよう。

 「リヤのクイックリリースのレバーは真後ろに向けて締めたらあかん、後ろについたプロはそこに前輪をこじ入れてリリースを外しよるから」などという到底信じがたい話をする人である。
プロフィール

けびん

Author:けびん
好きなもの:ゆるい登り坂と追い風
好きじゃないもの:180以上の心拍数
欲しいもの:折れにくいココロ
なりたいもの:パンチャーのフリしたルーラー

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